長文だけどまた後半まとまってなくね?w
2006年11月23日目まぐるしく景色は変わって行く。
チャロンもOMG→オラタン→フォースと変わって行った。
15000戦を達成し、最後のAIも作った。
全盛期に凌ぎを削った強敵たちもフォースを引退したり別の道を歩んだりしている。
目標たる目標がほとんど無い状態です。
それでも対戦は面白いし、続けているプレイヤーが居る限り俺はきっとチャロンを続けると思いますw
思い返せばもうフォースが出て6年ですね。
1クレ200円だった時期とか懐かしい。金がギリギリでも毎日の様に通ったりした。
メジャ閉店後に駐車場で10数人で輪を作ってフォース談義してたり、
そのままガストに乗り込んで店員さんに常連扱いされたりとか。
当時毎月恒例だった白根チャンス大会とか、
ぽかるふぁ最強時代とか新潟4強時代とか、第1回全国とか。
全国決勝行きが決まった時は嬉しくて色んな人にメールしたり電話したりしたなぁw
青ロンが週末のメイン戦場になってからも、ガストで朝まで近接について熱く語ったり特定のコンビについてどうすれば良いか10数人で討論したり。
青ロンから黒メジャに移動してからも色々あった。
恐らく新潟フォース業界史上、一番黒い時代だったんじゃないか?www
今はチャンスで深夜→朝までコース。
各所で若手が出始め、とうとう次の世代が来たかーみたいな気分になったり。
相方も変わりました。
最初は村雨さん。仕事の都合で組む回数が少なくて解散しちゃいました。
次は椎名。全国決勝まで行ったのは間違いなく当時のパイロット相性が良かったからだと思う。
全国後はあるふぁ。
実は最初から俺を相方として狙ってたらしいw
上越大会が流行の時期にみはると組んだ。
地方にあるまじき凄まじい破壊力故にリアル放置が多かった。
東京とかだったらそのまま切磋琢磨出来た気がするw
色々と俺のわがままがあって解散。いや、あの時はホントすまんかった。
んで最終的にあるふぁと組み直して元鞘wwww
いつぞやあるふぁが、俺が対戦で負けまくって「相方はお前じゃないとダメだ」とか言う夢を見たとか言ってましたねwww
懐かしいなぁ
昔、ある遠征帰りの高速の道中、
あるふぁ「コバヤシ以外のΓはカスだ」
木崎(仮)「ちょっwww」
あるふぁ「お前だってそう思うだろ?」
木崎(仮)「俺はそんな事思ってないぞwwwww」
あるふぁ「どのΓも皆しゃがみフォースとダッシュとターボだけじゃねーかよ」
木崎(仮)「いやまぁ、それが普通、本来Γの使い方だと思うが。俺がおかしいだけだww」
あるふぁ「お前と比べると全くプレッシャーを感じない」
と、相方からこれ以上ない賛辞を送られた。
流石に自分が一番強いなんて微塵も思っちゃいなかったけど、それだけ相方に認められてるのは素直に嬉しかった。
俺だって同様に、あるふぁ以上のPH使いなんて見た事ねーよwと言い返してやったっけ。
互いに「こいつ以上にその機体を使いこなせる奴は居ない」と思えていたから、あれだけ戦ってこれたんでしょうかね。
今更そう思いますw
こうやって考えると、相方にもライバルにも地元の仲間にも、とても恵まれた環境だったんだなと実感できますw
いつまでこのゲームが出来るか分からない。
どんなゲームでも古くなれば廃れる。人だってずっとそこに居る訳じゃないし、いずれみんな別の道を歩いていく。
でも、どうか出来るだけ長く、この楽しい空間が続きますように。
フォースの事しか頭に無かった頃、何度となく願ったっけ。
その為に自分はどうすべきか、周り全てが自分と同じ意思な訳は無い。
だからせめて、自分だけでもその願いが叶う様に行動しよう。
それでダメならそれまでだって事だから。
6年経った。
6年も続いてる。
6年しか経ってない。
どの表現が正しいかなんて人それぞれだと思う。
昔を懐かしむ事が出来るほどの時間はたった。
全盛期、「この時間が永遠に続けばいいのに」と何度も思った。
でも今、「あの頃に戻りたい」とは思わない。
そう思える程素晴らしい時間を過ごしたという思い出が出来たんだから、それはそれだけで誇れるものだと思う。
過去に戻ってそれをやり直して何が楽しい?w
良き日の思い出を胸に前を向いて今を生きた方が余程楽しいわ。
チャロンもOMG→オラタン→フォースと変わって行った。
15000戦を達成し、最後のAIも作った。
全盛期に凌ぎを削った強敵たちもフォースを引退したり別の道を歩んだりしている。
目標たる目標がほとんど無い状態です。
それでも対戦は面白いし、続けているプレイヤーが居る限り俺はきっとチャロンを続けると思いますw
思い返せばもうフォースが出て6年ですね。
1クレ200円だった時期とか懐かしい。金がギリギリでも毎日の様に通ったりした。
メジャ閉店後に駐車場で10数人で輪を作ってフォース談義してたり、
そのままガストに乗り込んで店員さんに常連扱いされたりとか。
当時毎月恒例だった白根チャンス大会とか、
ぽかるふぁ最強時代とか新潟4強時代とか、第1回全国とか。
全国決勝行きが決まった時は嬉しくて色んな人にメールしたり電話したりしたなぁw
青ロンが週末のメイン戦場になってからも、ガストで朝まで近接について熱く語ったり特定のコンビについてどうすれば良いか10数人で討論したり。
青ロンから黒メジャに移動してからも色々あった。
恐らく新潟フォース業界史上、一番黒い時代だったんじゃないか?www
今はチャンスで深夜→朝までコース。
各所で若手が出始め、とうとう次の世代が来たかーみたいな気分になったり。
相方も変わりました。
最初は村雨さん。仕事の都合で組む回数が少なくて解散しちゃいました。
次は椎名。全国決勝まで行ったのは間違いなく当時のパイロット相性が良かったからだと思う。
全国後はあるふぁ。
実は最初から俺を相方として狙ってたらしいw
上越大会が流行の時期にみはると組んだ。
地方にあるまじき凄まじい破壊力故にリアル放置が多かった。
東京とかだったらそのまま切磋琢磨出来た気がするw
色々と俺のわがままがあって解散。いや、あの時はホントすまんかった。
んで最終的にあるふぁと組み直して元鞘wwww
いつぞやあるふぁが、俺が対戦で負けまくって「相方はお前じゃないとダメだ」とか言う夢を見たとか言ってましたねwww
懐かしいなぁ
昔、ある遠征帰りの高速の道中、
あるふぁ「コバヤシ以外のΓはカスだ」
木崎(仮)「ちょっwww」
あるふぁ「お前だってそう思うだろ?」
木崎(仮)「俺はそんな事思ってないぞwwwww」
あるふぁ「どのΓも皆しゃがみフォースとダッシュとターボだけじゃねーかよ」
木崎(仮)「いやまぁ、それが普通、本来Γの使い方だと思うが。俺がおかしいだけだww」
あるふぁ「お前と比べると全くプレッシャーを感じない」
と、相方からこれ以上ない賛辞を送られた。
流石に自分が一番強いなんて微塵も思っちゃいなかったけど、それだけ相方に認められてるのは素直に嬉しかった。
俺だって同様に、あるふぁ以上のPH使いなんて見た事ねーよwと言い返してやったっけ。
互いに「こいつ以上にその機体を使いこなせる奴は居ない」と思えていたから、あれだけ戦ってこれたんでしょうかね。
今更そう思いますw
こうやって考えると、相方にもライバルにも地元の仲間にも、とても恵まれた環境だったんだなと実感できますw
いつまでこのゲームが出来るか分からない。
どんなゲームでも古くなれば廃れる。人だってずっとそこに居る訳じゃないし、いずれみんな別の道を歩いていく。
でも、どうか出来るだけ長く、この楽しい空間が続きますように。
フォースの事しか頭に無かった頃、何度となく願ったっけ。
その為に自分はどうすべきか、周り全てが自分と同じ意思な訳は無い。
だからせめて、自分だけでもその願いが叶う様に行動しよう。
それでダメならそれまでだって事だから。
6年経った。
6年も続いてる。
6年しか経ってない。
どの表現が正しいかなんて人それぞれだと思う。
昔を懐かしむ事が出来るほどの時間はたった。
全盛期、「この時間が永遠に続けばいいのに」と何度も思った。
でも今、「あの頃に戻りたい」とは思わない。
そう思える程素晴らしい時間を過ごしたという思い出が出来たんだから、それはそれだけで誇れるものだと思う。
過去に戻ってそれをやり直して何が楽しい?w
良き日の思い出を胸に前を向いて今を生きた方が余程楽しいわ。
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